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裁判

2012年9月18日 (火)

反論

余り書きたくないが、吉田松陰は、間違ったことには、如何なる人物に断乎として忠告したそうだ、私を評した人にもの申すが、全く的外れで、ドウショウモないのだ。
井の蛙大海を知らずで、井戸の中にどっぶりと使っているのが、大海にいる人物の評するのだから堪らない、したの書いて送ったメ-ルが、無意味というなら、いささか当を得ていると思う、私もそう思っていくから、中身であるなら別である。
誠に失敬な男である、以前にも、如何なる意味で行っているのか、全く訳の分からない文を書いているが、難しいのは学問と思っているらしいが、難しい文は、誰も読む人はいない、こんなのは何の役にも立たないのである。
砂上の楼閣にしか過ぎないのだ、第一私に病院行けとは、誠に失礼なことである、私のブログを外国の人でも誉めてくれているのだ。
私は一切医者を信頼していな、私の文の価値が分からないようなら、読んでも欲しくないやめてくれ。
貴方は四でも私の趣旨は分かっていない。
今まで読んでくさた事を感謝する、安倍さんを尊敬しているなら私のより、その人のホ-ムペ-ジを見てくれ。

2012年5月 6日 (日)

正当な裁判とは


左脳(読み書きソロバン)記憶した、特に司法試験を通ってきた阿呆が裁判をするのであるから、される方は堪らない、元々群れを作っている動物は本能によって支配して、統率しているのだ。本能があると間違ったことは行わないのだ。
本能は有力な彼らの群れの統率者が持つているの物である、しかし、人間は司法試験の勉強で、本能や人間独自の魂を失い、魂と右脳持った人間以外は絶対に正しい裁判は出来ないのだ、
上記の女性の犯罪の様に難しい問題になると、間違った裁判をするのである、魂と右脳がないということは、慈悲の心を喪失している。裁判官は禅の修行する以外には、絶対に正しい裁判は出来ない、今、現在では正しく裁けるのは、禅宗の老師だけである、裁判官が修行が出来るまでは、禅の老師に教えをこう以外にはないのだ。

2012年4月27日 (金)

小沢代議士の無罪

小沢代議士の無罪(前出より)
小沢代議士の無罪問題である、全くまた又で、何処が間違っているかというと、この裁判は1、2、3、4と数字があると、1、2を抜いた裁判である。
国民から見た場合には、政治献金は贈収賄であることは、歴然としているのである、この裁判は証拠がないのでは前提を抜かしているだけで、天下りは横領である。
だから国民に取っては、何か可笑しい茶番劇にしか見えないのである。国民は靴の上から足を掻いているようなものである
もっとも、大切なことは、政治献金という美名に隠れた贈収賄が、犯罪になっいない、この問題は以前から討議されているが何時もウャムャである。
しかし世間の目から見ると完全な贈収賄である、この事はハッキリしている、西松建設が小沢に献金して、地元の中小企業取り上げてしまって、仕事を大都会に持っていかれて、災害を受けた地元の産業に多大な影響与えている。
もっとも大切なことは、政治献金が犯罪いてあると言うことから取り上げないと、彼のトカゲの尻尾キリは常に成功して、犯罪者が勝利を得ることになるのだ。
弱者は守られるどころか、いつでも踏みつけられている。テレビ討論もこの事には言及しない、スポンサ-ガいるから、小生ガファックスを出しても取り上げられることはないのだ。
日本の政治は国民の政治ではない、代議士のための政治で、真の犯罪をごまかす事は全く、恐ろしい事である。