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2012年12月21日 (金)

禅とは

    みんなの党の人(私はみんなの党に加入済み)が、全員禅の修行するなら、相手の党は左脳(読み書きソロバンと自己と保身)だけである。
    阿部氏のシンクタンクも学者であるから、左脳だけの人物だから、心配することはないのだ。
    佐藤・中曽根 総理の様な、野弧禅に近いものでも、良い政治をしている、真剣にやれば間違いなく、第一党になることは間違いないのである。
   
    禅ほど簡単なものはない、色々と屁理屈を言うから難しく感じるのだ、動物は皆禅をしている。
    一遍上人のように、念仏を唱えるだけで、十分にゲタツ出来て正論を得ることは可能だ、南無阿弥陀仏の威力は素晴らしいのだ 。

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政治」カテゴリの記事

コメント

 「小さな人間」

 人は一般的に大きなもの「車、家屋」、高いもの「地位、学歴」の大高に憧れます。換言すれば金銭と名誉を欲することですが、そうした欲望を強く持つ人は派閥の数を力としたり、大高の反対軸にある小低「低学歴な庶民」なものを見下す過ちを犯します。
 つまり外見で人間性を測ることで、上から目線で他人を見下すと同時に、自分は他人から崇められて当然だという驕れる自己愛者になり、社会の常識や道徳は疎かにされ、謙虚さを失い自己中心的な強者の権力的行動をとることになります。

 2011,3.11東日本震災以後に原発利権連合の馴れ合いや津波想定の甘さなど、政官財の自己愛的素養が露呈しました。
素養「ふだんの練習や学習によって身につけた技能や知識。たしなみ」
 
  国家の中枢にいる集団が上から目線の、驕れる者の過信につながるような行動は国民にとって悲劇です。
 「実るほど 頭の下がる 稲穂かな」小さな人間は他者を下から見上げます。
目線の低いことは視界が広く外の世界の大きさや他人の長所がよく分かります。


 また逆に視野の広さは全体の一員として自分の小ささや未熟さを良く知り、自分の周りに築いてきた窮屈な自我という柵が解けて、驕りを戒める自戒ができて謙虚な素養が身に付きます。つまりジグゾーパズルの1ピースとして、他者「全体」を活かすことで「他者愛」自らが生きられる社会であることを知ります。これは対立、競争社会のなかで大きな豊かさへの開眼です。


 昨今は東京、名古屋、大阪など大都市部への津波被害が危惧されていますが、下から目線の広い視界で最悪のシナリオを正しく想定してほしいものです。

「わが背丈 野花に合わす 花むしろ」拙句。

 自由な民主社会のなかでは「自戒」は重要なファクターになりますが、自分の小ささに目覚めたときが他人を尊重できるときで、他人を意識した「礼節、信義、信頼、善意、謙虚、自戒」等の言葉に留意でき社会に規範となる美しい秩序をもたらすものです。

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