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2012年5月 6日 (日)

憲法の改正

変転
全くメタメタなものである、憲法を定めること自体が可笑しいのである、時代は常に、諸行無常、有為転変で、常に変化している。
憲法も常に変革する必要があるのだ。又間違っていると直ぐに変革しない、重大な危機に陥るのだ、確かに平和憲法は理想の憲法であるが、日本の総理が、大変に優秀で例えば、石橋湛山総理の様な人であると良いが、しかし、今の様に能力のない総理ではこれを保持することは、不可能である。
お釈迦さまが説かれたことでモットな大切なことは、自燈明、法燈明であるが、今やアメリカの傘下に入り日本は独立心を失っているのだ。
依頼心をもっているから、日本は他国から馬鹿にされて、対等に付き合うことは不可能で、今は変化して、自立心を持つた憲法に一時的にも変える必要がある。
ゴロツキみたいな国の相手するなら、相手を恫喝する必要があるのだ、誠に困った世界である。

元々憲法とは人間の本性の、正しい道である。
動物の世界であるように、人間も自分のみを守るためのものである、それでは真の憲法とは、自己を守るべきものである、しかし日本の憲法はそうではないのだ。
憲法は自己の仏と宇宙の仏の判断において、完全な憲法が出来るのである。しかしそこには、他人(アメリカ)を頼りにしていては真の憲法は生まれないのである。
今のように、政治家が魂と右脳もなく、左脳(読み書きソロバン)だけある。
政治家にまともな憲法が生まれる道理もない、又、憲法によって呪縛されて新しい発展が生まれる道理もないので、既に決定している、天皇は象徴であるということは、憲法の載せても良いのである。

正しい憲法
真に正しい憲法が出来るのは、誰であるか、真の禅の修行をした老師以外に出来ない、憲法はシバシバ流動的に変化する必要があるのだ。
戦後に、山本玄峯老師に指導していただき、天皇は象徴とし、『耐えがたきを耐え、忍びがたきを、忍びという』名文は、天皇の詔勅は憲法のようなものであるが、今では何の役にも立たないのだ。
魂と右脳を持った老師に作ってもらうとしても、五年毎に変革の必要がある、武田信玄、徳川家康、見ろ、快川和尚や天海僧正の世話になり、政治を行っているのだ、禅は宗教ではない、修行(勉強)一形態である。
禅の修行もしていないのが、政治をやっているから困るのである。
禅の修行をした、佐藤、中曽根総理は政治に成功し、又、山本玄峯老師の指導を受けた吉田総理、も成功している、政治をするには、禅は避けられない道である。

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コメント

亀井さんは魔境
を体験されたことがありますか?

よろしければご返答ください。
あります、私の場合は運良く、大したことはなく、師匠の指導よかったので簡単に出ることができました。
魔境悟ることです。
メ-ルで返事しておきましたが、魔境は大したことではないのです、これで自惚れて天狗になるのがなるのが、恐ろしいのです、一度入ると出る事はなかなか不可能です、
初めから、南無阿弥陀仏とか般若心経の最後のギャティをとなえているとなることはないのです。
一度増長慢になるとそれも不可能です。合掌
初めから、

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