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2012年3月23日 (金)

プ-タンの国王

プ-タンの国王の思想
全く恐るべき人である、今や日本の精神文化は破壊され、無残なものである、政治家は金儲けに専念して、それだけの人間で、最低の人間です。
地盤、看板、金に終始国会の討論は民主も自民も同じムジナで兄弟ケンカと同じです。
その討論は如何に金を扱い、金の使用方法を研究しているだけです。
政治献金や、賄賂、天下り、福祉、大好きである、彼らの政治は金の周りを、回っているだけです。
最低の人間が政治をやっていますので、国民はウンザリだ、彼らには魂と右脳がないのです。読み書きソロバンと保身と保身でこれを仏教では、餓鬼地獄と修羅界です。
日本の国民を極楽にするために政治は聞いたこともない、プ-タン、幸福省まで作っておられます。
この事実は日本を真似るべきである、日本の国民も今や金々に飽きて、精神文化を求めているのです。
その証拠に、江戸文化やお釈迦さまの教え、禅の本が読まれているのです。今の日本人の精神文化低いこと未開拓です。

プ-タンの国王は学校の講演で、仰いましたが、「生徒に皆さんは体の中に龍を持っています、その龍を育てなさい、実にこれは素晴らしい、ものです。
今度プ-タンの国王がお帰りになり、「先生は子供が龍はこころの中にある」のと聞かれますと、意味が分かってませんので、先生は外に居ますと、答えるでしょう、日本は心の龍を育てるだけの環境にないのです。
子供が神童といわれるのは、龍を持っているからです、日本の教育は知識だけの教育ですから、その龍を殺しているのです。だから居るの政治家の様な人物が一杯居るのです。
彼らは井の蛙である中の蛙、金の井戸から出られないのです、ひどい物です、今やプ-タンの国王は子供龍を育てようとしておられるのです。
これは万物に対する慈悲の心である、隣村に電気を引くのよ上に引くと鶴の羽が引っかかったりしますから、隣村は電気がないのだ、しかし誰も鶴のために不平不満を言う人はないのです。
オ-ストラリヤが地下に電線を引くお手伝いをして、隣村にも灯がついたのです、カラスがゴミをアサルと殺してしまう知事とは雲泥の差である、それがまた当選しているのです。

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政治」カテゴリの記事

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罰則の持つ危険性

■条件付きの否定的ストロークおよびディスカウントについてはすでに解説したが、今回はその使用上の注意点について解説する。

子どもの行動を親の希望する方向に操作するために、しばしば親は子どもの行動に対して罰則を加えるが、その弊害について、「親業・ゴードン博士 自立心を育てるしつけ」より引用しよう。

 第一章 言葉の定義と意味 (22p)

「知的な討論をしたいのなら、言葉の定義をしてからだ」
これは私の好きな大学教授の言葉である。しつけ、規律を語る場合にも、これは重要だ。定義と意味が明らかでないことが、多くの誤解を生んできた。(中略)

動詞の「しつける」は、ランダムハウスの辞書によると、「訓練とコントロールにより、従順と秩序ある状態をもたらす」「罰すること、矯正、体罰を与えること」となっている。

 しつけの押しつけ対自己規律 (26p)
コントロールも、実は分ける必要がある。二種類のまったく違う、しつけ=規律のコントロールの型を、ここで区別しよう。一つは外的コントロールで、「ほかから押しつけられたもの」である。もう一つは内的コントロールで、自ら自分に課するものだ。他人がコントロールしてしつけるか、自分がコントロール(自己統制)して規律をもつ(自己規律)か、の違いである。(中略)

子どもを一方的にしつけようとしても、規律を守る子どもになるわけではない―私はこのことを読者に納得させ、その証拠を提供していきたい。

大人がしつけを押しつけると、従順でおとなしく規律を守る子どもになることは、たしかにある。しかし、そんな子どもはおびえた、卑屈な子どもで、本当の意味での自己規律とはいえない。

 第四章 罰の欠陥と危険性 (86p)

親の八四%~九七%は、子供に体罰を使ったことがある。子供をさんざん叩きのめす親は、二ヶ月に一度以上はやっている―いずれも『閉ざされた扉のかげで』(前出)の中で、書かれたことである。

これほど体罰が使われるということは、賞がいかに効き目がないかを、物語るものである。ほとんどの家庭では、望ましい行動に対する賞がうまくいかないことがわかると、親は賞をやめる。そして、望ましくない行動を罰し始める。(中略)

 罰に効き目をもたせるには専門知識が必要だ。 (88p)
罰で子供をコントロールし、効果を上げるには、かなりの専門知識が要求される。その意味で、賞と同じである。しかし、大人のほとんどは、それに必要な広範な訓練を受けてはいないのだ。

心理学者は、禁煙させるのに電気ショックで苦痛を与え、成功したりしている。しかしそれは、十分に管理された実験室のような環境の下に、である。そして、きちんと決められた、次のような手順を踏まないと、効果は上がりにくいのだ。

1) 一度罰の対象になった行動は、いつも必ず罰せられなければならない。

2) 罰は、困った行動が行われた直後に、与えられなければならない。

3) ほかの子供のいるところでは、罰を与えてはならない。ほかの子供の前では、罰せられた子供は体裁が悪いと思い、コントロールする人に対し攻撃的になり得る。

4) 罰に値する行動が、決して本人の賞にはならないように、罰する側は気をつけなければならない。

5) 子供への罰は、厳しすぎてはいけない。また、頻繁にやりすぎてもいけない。さもないと、退行してしまう(努力をやめる。その場から逃げ出す。登校拒否。家出。チームを辞める。アルコールや麻薬に逃げる)。

家庭で親が、教室で教師が、簡単に守れる条件ではない。

第一の条件から見てみよう。一度罰の対象となった行動は、いつも必ず罰する。ほとんどの教師は守れない。私語をする子供全員を、私語のたびに罰することなど、不可能だ。そんなことをしていたら、授業時間なんかどこかへいってしまう。それにたいていの教師は、そのときの機嫌によって、同じ行動を罰したり罰さなかったりする。一貫性がないのだが、教師も人間だから、やむをえないところもあろう。

第二の条件、すぐに罰せよはどうか。たとえば教師がふと、教室の窓から外を眺める。校庭で一人の生徒が、もう一人を殴っているのが見えた。どうするか? 罰するために校庭へ出たのでは、「すぐ」ではなくなる。その教師が駿足で、あっという間に校庭の生徒のところへ行ったとしても、その子供に殴られた子供の前で罰することになる。つまり第三の条件、他人の前で罰するなを、破ることになる。

第四の条件、罰に値する行動に決して賞を与えるな、はどうだろうか。一貫性を保つのが難しいことは、すでに言及した。大人が二人いると、その二人の間で一貫性を維持するのも難しい。たとえば七歳の息子が、道路でスケートボードをする。母親は「危険だ」と叱りつける。ところが父親は「まだ小さいのに、難しいことができるなあ。すごいぞ」とほめる。息子は父親から、賞を得てしまう。第四の条件も破られた。

第五の条件にいこう。罰が厳しすぎたり、頻繁にすぎると、子供が退行する、である。心理学者はこのことを、白ネズミを使って実験している。

複雑な迷路を行くのを、白ネズミがどう学ぶかを観察する。終点まで行くと必ず食べ物を与えられれば、白ネズミは迷路を通り抜けるのを学習する。賞を補う意味で、違った道では軽いショックの罰を与えるようにすると、学習時間が短縮された。ところが電気ショックをさらに強くすると、白ネズミは努力しなくなった。罰を逃れるために、あちこちに横たわってしまった。

人間の子供でも同じだ。きびしく罰せられると、大きくなって家出する。落第点をとったり、教師から強く非難されたりした生徒は、学校を中退しやすくなる。飲酒や麻薬にはしったりすることも、多くなるのだ。

 「軽い罰なら大丈夫」なのか (92p)
心理学者のトマス・パワーと、大学院生のM・リンチャピエスキーが、1986年に行った研究がある。十六名の一歳四ヶ月児が、それぞれの母親と遊ぶのを、観察したものだ。禁じられたものを子供が手に掴んだときに、体罰(手を叩くなど)はうまく効かなかった。子供の注意をほかにそらせようとして、それがダメなときに体罰を使った場合も同じだった。それどころか、罰された子供は、壊れやすいものをもっと手に掴もうとし、制止に従わなくなった。

七ヶ月後に、幼児の発育度を見るテストが行われた。罰された子供のほうが、しつけを全くか少ししか受けなかった子供より、点数が低いという結果が出た。罰でしつけられた子供は、「探索行動が少なく、その結果、視覚的・空間的技能や問題解決能力を伸ばす道筋が、限られてしまう」というのが、この研究の結果であった。

 鬼のいぬ間に・・・
ときには罰も、子供の困った行動を抑える効果がある。しかしそれも、コントロールする側がいる時に限って、有効なのである。罰を加える大人がいなくなると、困った行動は繰り返される。もっと激しく、頻繁になることもある。親も教師もこのことは、よく知っているはずだ。

これについて、アイオワ大学のロナルド・リピットとロバート・ホワイトによる、古典的な実験研究(1943年)がある。ボーイズクラブの子供たちが、対象となった。それによると、コントロールの強い権威主義的なリーダーであると、そのリーダーが部屋にいなくなったとき、子供達はそれまでの作業をやめる。そして以前に禁止された、破壊的で攻撃的な行動を始めた。コントロールが強くない民主的リーダーの場合は、リーダーが部屋を出る前に始めていた作業を続けることが、はるかに多いという。私はこの実験の映画を見たが、二つのグループのきわめてはっきりした違いに、驚いたものだ。

繰り返し言おう。大人が外的に加えたコントロールが、子供に内的に生じる自律を教えるのに最適だ、とは言いがたい。懲罰的な大人によるしつけでは、自己規律のある子供はできないのだ。

 罰が攻撃と暴力を生むのは
従来の「常識的」な考え方では、罰は子供の攻撃的な行動を防止するものだった。しかし、事実は反対である。きびしく、懲罰的な、力に基づく罰は、実際には子供の攻撃性を引き起こすのだ。(中略)

モデリングと呼ばれる過程からも、罰が攻撃性を促進する。周知のように、子供は偉大なる模倣者である。大人、特に親のすることを、見てまねる。親が暴力でしつけ、コントロールすることが多ければ、次のような強力な教訓を、子供に教えているに等しいのだ。

「人間関係の中で、物理的な力や暴力を使うことは適切で、受け入れられる行動だ」
「力が正義をつくる」
「愛する人に暴力をふるうのは、正しいことだ」
「欲しいものが手に入らないときは、そのために闘え」
「対立で勝つのは、大きくて強いほうなのだ」

体罰は子供に、家庭の中でも外でも暴力を使え、と教えてしまうのだ。体罰の被害者に、生きた学習体験として、教え込んでいく働きをするのだ。だから各世代の子供は、自分が家庭で見聞きし、体験したことをモデルとして、暴力を身につけていく。

再び『閉ざされた扉のかげで』から、引用してみよう。 荒涼たる結果を考えてほしい。

●十代のときに一番たくさん体罰を受けた子供は、親が打たなかった家庭の子供に比べ、結婚後に配偶者を殴ることが四倍も多い。

●子供のとき激しい暴力を経験した夫は、暴力のない家庭で育った夫に比べ、妻への暴力が六〇〇%も多い。

●暴力的な家庭で育った親の四人に一人以上が、子供にひどい傷害を与えるほどの暴力をふるう。

●親から体罰を受けなかった子供は、兄弟姉妹にひどい攻撃を与えるのは二〇%にすぎない。親がよく体罰を加えた子供の場合は、それが一〇〇%近くになる。

 おとなの罰は、いずれ品切れになる (101p)
子供が青年期になるにしたがって、体格は大人なみになり、力も強くなる。大人が罰を使おうとすれば、子供からお返しの暴力という危険がある。そこで大人は当然、罰で子供をコントロールする力を失っていく。賞の場合を同じだ。

にもかかわらず、子供が大きくなってからも、多くの親は罰を効かせようと努力し続ける。実際に、十五歳から十七歳の子供の三分の一は、親から叩かれている。こういう家庭では、二重の尺度が作用しているのだろう。親は子供を自由に叩けるが、子供は親を決して叩いてはいけない、という不文律だ。それを子供が守るのを、親はあてにしているのである。(中略)

 力を使えば、高くつく (103p)
コントロールされる側は、罰の力によって傷つけられる。しかしコントロールする側も、かなりの代価を払うのだ。

コントロールする側は常に、コントロールされる人たちにおびやかされている。強制力で規律を実行させれば、不合意と反乱が起きるのを避けられない。一時的に抑えられても、ふつうは地下に潜り、後で反乱になって爆発する。(中略)

力に大きく頼るリーダーは、ほかのメンバーから疎外される。これは、目に見えないコストである。要因は二つある。一つは、自分が恐れる人、自分に何かを強制して敵対心をもたせる人に対しては、温かい気持ちや親切な気持ちになりにくいことだ。二つ目は、強制力をもつリーダーは、部下と親しい関係になるのを避けやすい、ということだ。ひいきするなどの、非難を受けないためである。

だから、権威主義的なリーダーのほとんどが、トップとして孤独を感じる。一緒に働く中に、親しい人がほとんどいない場合が多い。強圧的な親や教師でも、同じことが言える。自分の子供や生徒から、疎外されるのだ。

権威主義的リーダーは、仕事にストレスを強く感じる。心身の健康を損ないやすい。たとえば高血圧、冠動脈疾患、不眠、アルコール中毒などだ。力はその使用者を、病気にするのだ。

コントロールする側は好戦的で、力を失わないかと不安になる。他人に猜疑心、不信感を抱く。他人を犠牲にして勝つことには、罪悪感が伴なう。心理的地獄とでもいう状態を、自分で作ってしまうのだ。

もう一つ、コントロールする側が払うべき代価がある。メンバーが非生産的で有害な、各種の行動を始めて、グループ全体の効率が悪くなることだ。それによって、コントロールする側の仕事の安定が、おびやかされる。特に有害なのは、コミュニケーションが目に見えて少なくなることだ。罰せられるのを恐れて、問題や悩みをリーダーに知らせたがらなくなる。メンバーは、

「上司が知らないからといって、自分が困るわけじゃないし」
「リーダーの聞きたがることだけを、言っておこう」

という態度になる。その結果、「イエスマン」ばかりになる。一方、専制的なリーダーは、次のような不満を口にすることになる。

「誰も何も言ってくれない」
「私がわかるのは、一番最後になってからなんだから」

メンバーが自己防衛的になると、職場にしろ教室にしろ、家庭にしろ、その集団全体の効果が下がってしまう。そしてリーダーは、何も知らされないので認識が制限され、問題の所在をはっきりさせる能力が、小さくなってしまうのだ。

更に強制力を使うと、各メンバーのライバル意識が強くなる。家庭でいえば、兄弟姉妹がお互いを、ライバルとして見るようになる。競争が激しくなり、ときに戦闘的になる。ビジネスの場合なら、チームワークの効果が低下する。

強制的なリーダーシップの下にいると、ときには心理的、物理的に、自分をそこから引き離す方法を、見つけることがある。生徒は授業中に、教師から指名されないようにと努力する。十代の子供が部屋へこもり、親のコントロールから逃れる。学校を退学する、などなどだ。(中略)

 第五章 子供はコントロールさせると、実際にどう反応するのか (109p)

 子供が使う対応策 (113p)
子供がどんな対応策を使うかについて、私は長年にわたって例を集めてきた。主に『親業訓練講座(PET)や教師学講座(TET)』で集めたものだ。講座では、簡単でわかりやすい演習として行っている。

講座では、受講生に自分が若かったころのことを思い出してもらう。力に基づくしつけにどう対応したか、具体的な方法をである。それらを集めたのだが、子供時代の対応策のリストは、どの講座でもほとんど同じだった。次に、そのリストを表示する。いかに多様であるか、注目してほしい(あなたが子供のとき、どの対応策をよく使っていたかを、思い出せるだろうか?)

1 抵抗する。無視する。否定する。
2 反抗する。服従しない。反発する。文句を言う。
3 復讐する。やり返す。反撃する。蛮行に走る。
4 他人を殴る。好戦的になる。戦う。理屈っぽくなる。
5 規則や法律を破る。
6 かんしゃくを爆発させる。怒る。
7 ウソをつく。欺く。真実を隠す。
8 他人のせいにする。非難する。告げ口する。
9 他人にいばる。いじめる。
10 群れをつくる。同盟を結ぶ。おとなに対抗してまとまる。
11 おべっかを使う。お世辞を言う。へつらう。ゴマをする。ひいきしてもらおうとする。ねだる。
12 ひっこむ。幻想する。白日夢にふける。
13 競争する。勝ちたがる。負けを嫌う。いいかっこうをしたがる。他人をかっこう悪く見せる。
14 あきらめる。負けたと感じる。うらみごとを言う。つっかえる。
15 立ち去る。逃げる。家へ帰りたがらない。家出する。退学する。サボる。
16 話さない。無視する。相手が話しても沈黙で応じる。おとなをクビにする。距離を置く。
17 泣く。すすり泣く。落ちこむ。希望がないと思う。
18 おびえる。恥ずかしがる。臆病になる。発言するのをこわがる。新しいことを試すのを嫌がる。
19 保障を求める。いつも承認されることを求める。不安に感じる。
20 病気になる。心身症になる。
21 食べすぎ。ダイエットのしすぎ。
22 服従する。おとなしくなる。同調する。言われたことに従う。お世辞を言う。いい子になる。先生のお気に入り。
23 酒を飲みすぎる。薬物を使う。
24 学校でカンニングする。盗作する。

受講生は自分達で、このようなリストを作る。そして、これらが自分の経験の中から生まれたものに気づき、よく次のような感想をもらす。

「力を使った結果が、こんな行動を生むのだったら、なぜ力を使いたがるのかね。」
「こういう対応策は、自分の子供(や生徒)には、やってほしくないものばかりだ。」
「肯定的な行動とか、よい影響は、このリストには一つも無い。」
「自分が子供のときに、こういうふうにして力に対処したのなら、自分の子供だもの、やっぱり同じでしょうね。」

この演習の後で、考え方が180度転換する人がある。力を使うと子供の一番嫌な行動パターンを生むことが、はっきりわかるからだ。おとなは大きな代価を払うことになる。そのことが理解され始める。

力に対する子供の対応策は、ほとんどのおとなが受け入れられないと感じるものだ。不健康な習慣や特性、特徴であると、精神衛生の専門家が感じるものである。そんな不健康さの原因を、おとなによる力のコントロールが作っているのだ。

対応策のリストを見ると、子供の反応は次の三つの型に分類されることがわかる。

●「闘う」反応――抵抗、欺き、反抗、不従順、復讐、他人を殴る、規則破り、怒る、など。

●「逃げる」反応――家出、退学、過食、麻薬、飲酒、幻想、恥ずかしがり屋になる、など。

●「服従する」反応――ご機嫌とり、よい子、ほかの子のせいにする、新しいことをするのをこわがる、大人の言うことをおとなしくきく子、先生のお気に入り、いいかっこうをする子、など。

ほとんどの子どもが、このうちの一つの型を使いやすい。男子は闘いがちで、女子のほうは服従することが多い。幼いときには服従し、一〇代になると闘うことが増える子供もいる。逃げる反応は、罰がとても厳しかったり、賞の入手が難しすぎる場合に使われ、子供の年齢とはかかわりがないようだ。

子供が対応策をとれば、それがまた大人の反応を引き起こす。たとえば闘う対応策は、さらに強い懲罰的なしつけを呼びやすい。すると子供の側は、戦う勢いを強くし、さらに罰が厳しく・・・・・・となってしまう。戦う反応は非行少年や犯罪者によく見られる。

服従する反応は、大人を挑発して厳しいしつけを招くことはない。しかし、こどもの仲間関係がメチャメチャになる。ご機嫌とりや先生のお気に入りは、ほとんどの子供に嫌われる。ほかの子供たちに、からかわれ、拒否、バカにされ、侮辱されるといった反応を起こす。

逃げる反応は、大人と子供の関係を、長い間にわたって傷つける。親子の生活が、さらにみじめになる。麻薬などによって、子供が健康を害することもある。

 大人に対して暴力で反撃する (118p)
生徒が教師に暴力をふるうことが、増えてきている。多くの学校で、これは深刻な問題となっている。同じ事は、驚くほど多くの家庭内でも起きている。『閉ざされた扉のかげで』によれば、三歳から一七歳の子供の三人に一人は、年に一度は自分の親を殴っている、という。

子供から親への暴力は、復讐の性格を持っている。同書によれば、親から一番たくさん殴られていた子供は、その半数が親を殴り返していた。親が子供に暴力をふるわなかった家庭では、このような子供は四〇〇人に一人もいなかった、という。

 犯罪行為のタネをまく (121p)
しつけがきびしければ、子供が規律を守るようになる、というわけではない。前にも言った通りだ。懲罰的なしつけは、実際には犯罪行為を防がない。逆に犯罪行為に走らせる。事実を見てみよう。

●非行少年の家族背景の調査によると、そうでない子供に比べて、きびしく懲罰的で、力にものをいわせる親から、よく罰を受けていることが知られている。男女を問わない(マーチン、一九七五年)。

●サンクェンテン刑務所での調査。暴れる受刑者は全員が、一歳から一〇歳までの間に、家庭で極端な暴力を体験していた(マウラー、一九七六年)。

●殺人者に関する調査。殺人を犯さなかった兄弟に比べて、子供時代に、より頻繁に、より激しい体罰を受けていた(パルマー、一九六二年)。

●犯罪者になる危険性が高いと判断された男子の追跡調査。実際に犯罪を犯して捕らわれたのは、
愛情深い両親の子供            三二%
愛情深い母親と懲罰的で拒否的な父親の子供 三七%
懲罰的で拒否的な母親と愛情深い父親の子供 四六%
両親とも懲罰的で拒否的な場合       七〇%
(マッコードとマッコード、一九五八年)

●暴力犯罪者の背景についてのほとんどの調査でも、法律を守る市民に比べ、その親や保護者から何度も殴打その他の体罰を受けていることが示されている(ギルマーチン、一九七九年)。

●オレゴン州のある調査では、体罰を使う学校ほど校内暴力が多く、体罰が少ないほど校内暴力が少ない(ハイマン、マクドゥエル、レインズ、一九七五年)。

 注意―しつけは子供の心身の健康に有害だ (123p)
ドブソンは、権威への服従は「健康な人間関係に必要だ」との理論を述べている。しかしこの考え方は、調査研究の結果とは合致しないのだ。事実をあげよう。

●著名な実験心理学者ロバート・シアズの調査によれば、よく制限や罰を与える親を持つ十二歳の男子は、自罰性、事故にあう傾向、自殺傾向が高い(一九六一年)。

●三つの別々に行われた調査によると、抑圧の強い神経症的な子供は、ほかの子供に比べて、家庭背景に制約が多く、過度のコントロールが強い(ベッカー、一九六四年)。

●自尊心の低い子供の母親は、理由を言ったり話し合うよりも、気まぐれに罰するしつけを多く使う。また賞よりも罰をしつけに多用する(クーパー・スミス、一九六七年)。

●グッドウィン・ワトソン(コロンビア大学の心理学者)は、二三〇名の大学院生を調べた。まず、子供時代に親から受けた罰のきびしさと頻度を答えさせ、次いで長時間の面接を行った。罰をひどく受けた者は、罰が最も少なかったグループの者に比べて、親を憎悪する感情が強く、教師を拒否し、友人との関係が貧しく、けんかや人見知りが多い。恋愛関係がうまくいかず、心配や不安、罪悪感、不幸だと思う気持ちが強い。よく泣き、親への依存度が高い(一九四三年)。

別の調査によると、権威主義的な親の子供は、友人関係で社会的能力に欠けている―引っ込みがちで、社会的にイニシアティブをとらず、自発性に欠ける(ボールドウィン、一九四八年)。

心理学者のE・マッコービイとJ・マーチンによると、権威主義的な親の子供は、「良心」について低い点数を示し、外からのコントロールが強かった。コントロールの源泉が内側ではなく外側で、セルフコントロールが低かった(一九八三年)。

実験結果はたくさんある。そこからわかるのは、押し付けは子供の精神衛生に有害だ、ということだ。

罰によるしつけは、子供の情緒に害を与える、それは社会にとっても良くない、病める子供は情緒障害をもつ。非生産的、反社会的であり、往々にして暴力的な市民に成長していくのだから。(中略)

権威への服従は美徳ではない。私達の社会によくある病気と考えるべきだ。と私は思う。そこで私の結論として、あらゆる大人に対して、次の処方箋を提供しよう。

ほかの人と接する時に、権威や力ではない効果的な方法を、早急に社会に取り入れなければならない。ほかの人とは、子供も大人も含まれる。人間に、勇気と自律、自己規律を与える方法を。権威に服従することが、自分の善悪の感覚と矛盾する時は、その権威にコントロールされるのを拒否できる人間を、生み育てる方法を。

第二部では、このような方法を紹介する。大人が子供に接する時に、力に頼らず強制的でもない、具体的に使える技能と方法である。子供が自ら律し、責任感を持ち、自分で自分に指示を出し、セルフコントロールできて自己規律を持つ―そんな人間になるのを手助けする方法だ。このような方法こそが、真の意味で健康であり、民主的社会の市民にもとめられるものなのだ。

第二部 子供をしつけるかわりに、できること
第六章 コントロールせずに、子供が行動を変えていくには (134p)

まず言えるのは、人々は「しつけ屋」の役割を演じ続けている、ということだ。そして、しつけに変わる唯一の方法は、子供を甘やかすことだ、と考えている。(中略)

しかし実際には、「しつけ屋」か「甘やかし屋」かという、二つの方法しかないのではない。そのことを私は、前の章で注意した。

しつけでコントロールする以外の方法はある。大人が子供に影響を与えることで、子供の行動を効果的に変える、いくつもの方法である。こういう方法を使えば、大人と子供の要求が合致し、お互いの関係が確実なものになる。

この章で私は、しつけでコントロールするのにかわる方法と技能を紹介しよう。(中略)

その前に少しだけ、私たちの講座―『親業訓練講座(PET)』と『教師学講座(TET)』について、若干の説明が必要であろう。

 親業や教師学はどう生まれ育ったか (136p)
私は一九六二年に、親のためのリーダーシップ訓練の講座を作り上げた。またたくまにこれは成功した。まずロサンゼルス郡で親達をひきつけ、さらにサンフランシスコの湾岸部やサンディエゴ郡に広がった。

『親業訓練講座』の名をマスコミに載せると、インストラクターの志願者が出てきた。数百人をインストラクターとして訓練、公認した結果、わずか五年でいくつもの州へ、私たちの講座は広がった。

これまでに数千人のインストラクターが、100万人以上の親を教えている。米国の全部の州に加え、25の外国にも及んでいる。(中略)

『親業訓練講座』を始めて数年後に、同じ技能を教師に教えてほしいと、学校関係者からの声が出た。その声に勇気づけられて、私は「教師学」の講座を作り上げた。それ以来、全米および十二の外国で、10万人以上の受講者が過程を修了している。

この結果、次のことが証明されてきた。すなわち、教師のほとんどは、伝統的な教室での規律の方法とは違う、別の方法を学ぶことができる。力によらない技能と手順を身につけると、教室での困った行動が減り、生徒の学業態度や精神衛生も良くなる。


■ひきこもり、非行少年、家庭内暴力、心身症、人格障害、自殺、これらの根底には自己評価の極端な低さがある。

「自己評価」とは、自分は生きている意味がある、存在価値がある、自分は大切な存在だ、必要とされている、という感覚のことである。

自己評価が高ければ、私たちは比較的安定した気分で過ごし、物事を積極的に行い、困難にも勇気を持って立ち向かうことができる。その反対に自己評価が低ければ、私たちは不安を感じ、日常生活のなかでもうまくいかないことが多くなる。

ここではフランスの精神科医クリストフ・アンドレとフランソワ・ルロールの共著『自己評価の心理学』を参考にしつつ自己評価のメカニズムについて解説する。

まず自己評価には二つの種類がある。「愛情に関する自己評価」と「能力に関する自己評価」である。

「愛情に関する自己評価」とは、自分には存在価値がある、人から愛されている、というように“人格そのもの”に関する自己評価であり、すべての自己評価の基礎となる最も重要な要素である。<自分を評価する>という言葉のなかには、<自分の能力や行為に価値判断を下す>という部分が含まれてくる。したがって、いつでも自分を高く評価できるわけではない。だが、<自分を愛する>ということには条件がつかない。どんな欠点があっても、能力に限界があっても、またどんな失敗をしても、人は自分を愛することができる。<私は人から愛され、大切にされるのにふさわしい・・・>。心のなかでそう小さな声がささやくからだ。このように“無条件に”自分を愛することができるからこそ、人は逆境に耐え、挫折を乗り越えることができる。もちろん、困難な状況に直面すれば、不安や苦しみを味わったりすることもあるだろう。しかし、絶望に打ちひしがれて、そこから立ち直れなくなることはないはずだ。

といっても、人は生まれたときから<自分を愛する>能力を身につけているわけではない。あとで詳しく述べるように、<自分を愛する>ことができるかどうかは、子どものころに家族からどれほど、<愛情の糧>を受けたかによって決まる部分が大きい。

■自分を愛する力が発達する要因
子どもの頃に両親などから、どのくらい、またどんなふうに<愛情の糧>を受けたか。
■自分を愛する力が十分備わっている場合の効果
感情的に安定する。他人との関係がうまくいく。批判されたり、拒絶されたりした時に持ちこたえることができる。
■自分を愛する力が十分でない場合の結果
自分が人から愛されるとは思えない。何をするにも自分は決してうまくいかないと考える。たとえ成功しても。自分がつまらない人間のように思える。

次は「能力に関する自己評価」について解説するが、これには2種類ある。<自分を肯定的に見る>力と、<自信を持つ>力である。

<自分を肯定的に見る>とは、<自分の長所や短所を判断したうえで、自分に肯定的な評価を与えること>。これが自己評価の二本目の柱である。だが、ここで大切なのは、その判断に客観的な根拠があるかどうかではない。そうではなく、これが自分の長所や短所だ、能力や限界だ、と判断するのにどこまで確信を抱いているか、そのほうが問題になる。その意味では、客観的な要素よりは主観的な要素のほうが重要な役割を果たすのである。だからこそ、劣等感の強い人(つまり否定的要素を強調して考える人。たいていの場合、自己評価が低いことが多い)は、本人だけが思い込んでいる自分の欠点を言いたてて、周囲の人を困らせるのだ。

一般に、<自分に対する見方>には、幼い頃からの家庭環境、とりわけ両親の期待が関係している場合が多い―すなわち、両親の期待に応えることができたかどうかで、<自分を肯定的に見られるかどうか>が決まってしまう。

両親はほとんど無意識のうちに、自分たちができなかったこと、果たせなかったことを子どもにさせようとすることがある。その場合、子どものほうはいわゆる<使命を負った子>になる。たとえば、お金がないことを苦にする母親が金持ちの息子とつきあうよう娘をそそのかす。あるいは、かつて学業に失敗した父親が名門中学校に息子を入学させようとする。もちろん、こういった両親の望みは、それが強制されることなく、また子どもの能力や希望を考えに入れたうえで果たされるのであれば問題ない。だが、そうでない場合は、子どもは親の期待に応えられないことに苦しみ、自己評価を下げることになる。

■自分を肯定的に見ることができるようになる要因
両親から期待され、自分の能力を信じてもらえたか(ただし、その能力が実際の期待に比べて過剰ではなかったか)
■自分を肯定的に見ることができる場合の効果
将来に対して積極的な目標を掲げ、それに邁進することができる。障害にぶつかってもくじけない。逆境に耐えることができる。
■自分を肯定的に見ることができない場合の結果
人生に関わる選択で積極性に欠ける。他人の意見に左右されやすい。自分が決めたことを粘り強く続けることができない。

最後は、<自信を持つ>。自己評価の三本の柱のうち、この要素は私たちの行動に密接に結びついている。というのも、<自信を持つ>とは、<自分の決断に確信を持てる>、すなわち<どんな重要な局面でも自分は適切な行動を取れると信じることができる>ということでもあるからだ。「私の息子には自信がない」とある母親が言うとき、その息子は要求された行動ができるかどうか、自分の能力を疑っているのだ。この<自信を持つ>という要素は、<自分を愛する>や<自分を肯定的に見る>という要素にくらべると、比較的見きわめやすい。ある人が<自信を持っている>かどうかは、その人物が新しい状況や思いがけない状況、難しい状況にどう対応しているかを観察すればよいことだからだ。

<自信>がなければ、人は<行動する>ことができない。だが、自己評価を維持し、あるいは高めるには<行動する>ことが必要である。より正確に言えば、<行動して成功する>ことが必要である。つまり、日常生活における様々な行動やその小さな成功が、自己評価を支える栄養の補給源となるのだ。そのためには、まず<自信を持つ>ことが重要になる。

では、この<自信>はいったいどこからやってくるのか? 別に難しく考えることはない。学校や家庭の教育の場で培われるのだ。たとえば、子どもに対して、失敗は決して取り返しのつかないものではなく。行動した結果、失敗することもあり得るということがあらかじめ伝えられているかどうか? 成功したことよりも挑戦したことのほうに高い価値がおかれているかどうか?  挑戦してもなかなかうまくいかないとき、こんなことならやらなければよかったと子どもに思わせずに、失敗からうまく教訓を引き出してやることができるかどうか? そういったことが問題になるのである。これには親や教師が模範を示すことも大切になる。自ら模範を示さずに、ただ口で「失敗を受け入れろ」と言っても、あまり意味はない。子どもは大人の態度を見て学んでいくのである。こうして<自信を持つ>ことができるようになったら、その人間は未知の状況や困難な状況を過度に恐れることがなくなる。

■<自信>が培われる要因
挑戦してみる、根気よく続ける、失敗を受け入れるなど、<行動>するための基礎を学んだか。
■<自信>が十分備わっている場合の効果
日常生活の様々な局面で、気軽に、またすばやく行動することができる。失敗してもくじけない。
■<自信>が十分でない場合の結果
行動することができなくなる。さんざん迷ったすえに行動しても、うまくいかないとすぐにあきらめる。粘りがない。

以上の三つの要素がバランス良く配合されていないと、自己評価はたちまち不安定なものになる。たとえば、<自分を肯定的に見る>ことができない場合、その人物が持っている<自信>は表面的なものにすぎないので、何かの障害にぶつかると、<自己評価>は崩れてしまいやすくなる。

あるいは、その反対に<自分を肯定的に見る>ことだけが突出している場合―この場合は、たとえ<自分を愛する>ことができなくても社会的に成功する可能性は高い。だが、それでも恋愛関係に失敗したりすると、いったんは封じ込めたと思っていた自分に対する不安やコンプレックスが頭をもたげてくるだろう。

また、<自分に自信が持てない>場合は、どれほど愛情に恵まれていようと、行動をとることができなくなり、その結果、<自己評価>は著しく下がることになる。たとえば、両親から愛されて立派な学歴を得たとしても、甘やかされて過保護に育っていれば、現実に立ち向かう勇気が出ず、いつまでたっても自分の能力に疑いを持つようになる。そうなったら、新しいことに挑戦することもできず、そのせいでまた<自己評価>が下がるという悪循環に陥ることになるのである。

次は、自己評価の高い人や低い人が、ある状況においてどのような特徴をもつか解説する。

【自分について訊かれたら、どうように返事をするか】
■自己評価の低い人
・自分のことがよくわからないと感じている。
・自分についてどちらかというと中立的な話し方をする。
・自分のことを言うのに、曖昧で、確信がなさそうな話し方をする。これは社会的な評価を恐れているからだ。つまり、自分が優れていると言ったら高慢だと思われる。その反対に悪いところを言ったら劣った人間だと思われると思っている。それと同時に、上記のように自分のことをよく知らないからでもある。
・答えが返ってくるのが遅い。しかし誰か他の人のことを質問すると、もう少しすばやく、はっきりした答えが返ってくる。
・自分について矛盾したことを言うことがある。
・自分に対する判断はあまり安定していない。
・状況や相手によって、自分についての価値判断や話し方が変わる。自分の意見を主張するより、他人からどう思われるかのほうを優先しているからである。
<短所>曖昧で、ためらいがちな印象を与える。
<長所>話し相手に合わせることができる。ニュアンスを表現できる。

■自己評価の高い人
・自分についてはっきりした考えを持っている。
・自分について肯定的な話し方ができる。
・自分のことを言うのに、はっきりした話し方をする。
・自分について話す時には、だいたい首尾一貫している。
・自分に対する判断はかなり安定している。
・どんな状況で、どんな相手に対してでも、自分についての価値判断や話し方があまり変わることはない。
<長所>はっきりして、安定した印象を与える。
<短所>自信がありすぎる。物事を単純化しすぎる。相手を不快にさせることもある。

【行動するときにどんな態度をとるか】
■自己評価の低い人
・何かをしようと思ったとき決断するのに時間がかかる。決断を先延ばしにする。
・いくつかの選択肢の中から何かを選ばなければならない状況で困難を感じる。<正しい選択>と<間違った選択>があらかじめ決まっており、間違った選択をした場合には取り返しのつかない事態に陥ると思い込むことがある。しかし現実にはほとんどの選択には長所と短所があり、選択が正しいものになるか間違ったものになるかはその後のやり方によることが多い。
・自分が選択したことの結果が心配になることが多い。
・何かを決めるときに、まわりの意見を求めすぎる。
・一度しようと決めたことでも、障害にぶつかったら、すぐにあきらめる。
・自己評価の低い人は自分の思い入れではなく、社会的な制約に従って、決まったことを続ける場合が多い。それは興味の持てない仕事だったり、あまり幸福でない結婚生活だったりすることもある。こういった状況を、自己評価の低い人は、“一度決まってしまったから”という理由で変える決心がつかないのだ。それまでの自分の行動に縛られやすいといえる。
・まわりの状況に従うことが多い。
<短所>因習的。優柔不断。
<長所>慎重で、よく考えたすえに行動できる。辛抱強い。

■自己評価の高い人
・何かをしようと思ったとき、すばやく気軽に決断できる。
・いったん選択してしまった以上、それがうまくいくよう、できるだけ努力する。
・決断にあたっては、自分の意見を大切にする。
・一度すると決めたら、どんな障害があっても粘り強くやりとげる。
・自分のためにならないと思ったら、まわりの状況に反対することも厭わない。
<長所>革新的。
<短所>目先の利益にとらわれやすい。

【失敗や批判に対してどんな反応を示すか】
■自己評価の低い人
・失敗がわかった直後には、がっかりするなど感情的な反応を示す。
・失敗の経験は感情的な傷跡を残す。
・自分の得意分野では特に完璧を目指しているので、批判を受けると一気に崩れる。
・自分自身に対する否定的な情報を求める。
・失敗をしたあとで言い訳をする。
・失敗をしたあと、「あの人はうまくいったのに!」と、自分と成功した人間を比較する。
・批判されると、はねつけられたように感じる。
・他人の評価を気にかける。自己評価の低い人が何かをしたいと思ったとき、他人から見られているかどうか、あるいは他人から評価される状況であるかどうかで、その行為をするかしないかが変わってくる。すなわち、他人の視線や評価を気にしなくてもすむ状況であれば、自己評価の低い人も安心して行動することができる。これは自己評価の低い人がいつも他人から批判されるリスクを頭に置いて行動の基準を決めているからである。それと同じ理由で自己評価の低い人はあまり競争することを好まない。負けるかもしれないくらいなら競争に参加しないほうを選択するのだ。
<短所>批判を気にしすぎる。また批判を先取りするところがある。
<長所>失敗を避けるよう努力する。批判的な意見に耳を傾けることができる。

■自己評価の高い人
・失敗がわかった直後には、がっかりするなど感情的な反応を示す。
・失敗の経験は感情的な傷跡を残さない。
・欠点を批判されても耐えることができる。あるいは積極的に自分を守ることができる。
・自分自身に対する否定的な情報を求めない。
・失敗をしても言い訳をする必要を感じない。
・失敗をしたあと、「自分じゃなくても、ほとんどの人間が失敗したはずだ」と思う。
・批判されても、はねつけられたようには感じない。
・他人の評価を気にかけない。
<長所>批判に強い。
<短所>批判に耳をかさない傾向にある。

【成功に対してどんな反応を示すか】
■自己評価の低い人
・成功することが好き。
・成功すると、自分自身に対して抱いていたイメージが混乱する。
・成功したり、ほめられたりすると困惑する。その理由は、自己評価の低い人が成功や賞賛を経験すると、いわゆる<認知的不協和>と呼ばれる。ジレンマに陥ってしまうからである。すなわち、自分自身に対する否定的なイメージと成功やほめ言葉からもたらされるイメージとの間に違いがありすぎて、その違いに困惑するのだ。それはまた。自己評価の低い人がそのあとにくるものを予測してしまうからでもある。つまり、成功したり、賞賛を受けたからには、それに見合う働きをして責任を果たさなければならないと考えてしまうのだ。
・自分はこの成功にふさわしくないのではないか、この状態は長続きしないのではないかと不安になる。
<短所>成功してもなかなか喜ぶことができない(不安な幸福)。成功の経験によって自己評価が高くならない。
<長所>謙虚である。

■自己評価が高い人
・成功することが好き。
・成功すると、自分自身に対して抱いていたイメージが補強される。
・成功したり、ほめられたりすると嬉しくなる。
・その成功に自分がふさわしいかどうか、その状態がいつまで続くのか、そういったことはあまり考えない。
<長所>さらに成功したいという気持ちを持つ。成功の経験によって、さらに自己評価が高まる。
<短所>賞賛に依存する恐れがある。(ほめられないといられない)

【自己評価と人生への対し方】
■自己評価の低い人
・失敗を恐れる。
・安心するために下を見る。
・リスクを回避する。
・習慣に従っていると、安心する。
・なにごとにおいても中庸であることを願う。その反対に、他人と比較して欠けている点があると気になる。
<短所>失敗すると自主規制するので、進歩が遅い。
<長所>慎重で、抑制がきいている。

■自己評価の高い人
・成功を欲する。
・向上するために上と比較する。
・リスクを引き受ける。
・新しい経験をすると、刺激を受けて良かったと感じる。
・自分が得意にしている分野で成功することを好む。それ以外の分野では、失敗してもあまり気にしない。
<長所>成功するとさらに先を目指すので、進歩が速い。
<短所>無鉄砲。いろいろなことに手を出しすぎる。


■人は「心のコップ」をもっている。「心のコップ」には日常生活で否定的ストロークやディスカウントなどを受けたことによるストレスがたまっていく。

「心のコップ」には許容量がある。自己評価の低い人のストレスが許容量を超えると心身症、非行、ひきこもりなどの症状が発現する。

「心のコップ」は他者から『受容』されることによって空になる。それは、話を聞いてもらうこと(無条件の肯定的ストローク)である。

しかし、「心のコップ」がいっぱいの人は、他者を『受容』することができない。もし、子どもの両親の「心のコップ」がすでにいっぱいであるとすれば、両親は子どもを『受容』することができない。

また、時間的な制約で子どもの話を聞くことができない場合も、親は子どもの「心のコップ」を空にしてやることができない。

人は、無条件に自分を『受容』してくれる「安全基地」を持つことで社会の競争に耐えることができる。普通、その安全基地は家庭である。

会社や学校で傷ついても、家庭に帰って「心のコップ」を空にしてもらうことで、また競争に参加することができるのだ。

しかし、家庭が「安全基地」として機能していない場合、つまり、親の「心のコップ」がいっぱいか、親が不在である場合、子どもは外での社会生活に耐えることができない。

その具体的な例を「輝ける子」から引用しよう。

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 1章 「おれなんかおらんほうがいいんや」「自殺してやる」―キレる子たち (18p)
ある日、小学校の先生から、クラスの男の子のことでとても困っている、と相談を受けました。一年生の男子で、学校でたびたび、衝動的にカッとして暴力を振るい、とても手に負えない、というのです。

どういうことかというと、
●担任や友達が注意すると衝動的にカッとしてイスを投げたり、机の上の物を落としたりする。
●他の児童をいきなり叩いたり蹴ったりする。
●一週間に二回も窓ガラスを割る。
●根気が無くて勉強をなまける。
●授業中わざと大声を出して授業の邪魔をする。
●担任の先生の指示に従わなくて勝手な行動をとって、プイと教室から飛び出していく。
●言葉遣いが荒くて、すぐ挑発的な態度をとる。

かと思うと、「おれなんかおらんほうがいいんや」「自殺してやる」とか言ってすねる。自分の頭を机に打ちつけて自分を痛めつけるような行動をとる。(中略)

こういう子は、一体、なぜこんな行動に出ているのか、どう対応していったらいいのか、このことを通して、話をしていきたいと思います。

 2章 周りの言葉やちょっとした注意にも、いじめられていると思う子がいる (22p)

まず、この子の目立った特徴は、『対人関係が未熟である』ということです。

相手の気持ちを全然考えないで、自己中心的と言うか、わがままとしか見えない行動をとる。かと思うと、ちょっとした友達の言葉に傷ついて、暴力を振るう。ちっとも我慢ができない。

周りから見れば、こんな乱暴な子はいないと見えるのに、本人はどう思っているかというと、自分はクラスの皆からいじめられていると思っている。

「いじめているのはあんたやないか」と言いたくなるのですが、それだけ周りの言葉やちょっとした注意もいじめととってしまう、対人関係の問題がありました。

 3章 家に親がいないということだけで、子どもにどんどんモヤモヤがたまっていく (24p)

どうしてこういう状態になっているんだろうということで、お母さんにも来てもらったり、担任の先生を通して、状況を聞いていきました。

そうすると分かってきたことは、この子は、一人っ子なのですが、少し前から、お父さんが単身赴任で家にいない。お母さんは夜勤のある仕事で、残業も多く、要するに、この子が家に帰っても、独りぼっちの日がとても多い、ということが分かりました。

つまり、親と接する時間が圧倒的に少なかったのです。しかも、たまに一緒にいる時くらいせめて、お母さんに甘えられる時間になればいいんですけれども、宿題もして、晩ごはんも食べて、お風呂にも入って、次の日の準備もして、と、次から次とやることがいっぱいあるわけですね。

しかも、こういう子ですから、ぐずぐずして言うことを聞かないのです。そうすると、ついついお母さんは、「早くしなさい。早くしなさい」と叱ってしまう。

お母さんは、決してこの子に愛情がないわけではない。むしろ、人一倍、愛情をかけている。そのうえ、お父さんもいないなかで、仕事も家事も育児も一手に引き受けて、本当によくがんばっておられるんです。

人に言えない苦労もたくさんあったと思います。だからこそ、「子どもだって、ちょっとは協力してよ」という気持ちがあっても無理もないことです。

ただ、子どもには、なかなかそういう状況はわかりませんし、子どもとすれば、せっかくお母さんと一緒にいる時くらい甘えたいのに、実際は、せかされ叱られ通し、ということで、つらい気持ちがたまっていたのだと思います。

こういう情緒不安定な子どもを見ると、まず心の安心ができていないことが分かります。ですから、こういう子どもには、まず心の安心を与えてやることが大事です。

子どもの心の安心をつくるのに、一番の特効薬は、やはり親がそばにいることです。

たとえば、学校でなんか嫌なことがあると、モヤモヤとした気持ちのままで帰ってくる。家でも、ムスッとした顔をしている。

それにお母さんが気付いて、「どうしたの?」と聞くと、最初は、「別に」とか言っている。「何かあったんじゃないの?」とさらに聞くと、「実はこんなことがあって、友達にこんなこと言われて、今日はムカついとるんや」とか言って話し始める。

それを、お母さんは「そうか。そうか」と、話を聞いてやる。子どもも「ムカつく、あいつ」とか言うだけ言って、「そう、そりゃ腹立つわね」と言われると、気持ちも落ち着いて楽になる。

ところが、学校から帰って、嫌だったことをお母さんに話ができないまま、次の日になってしまうと、子どもはすぐ忘れてしまいます。だけど、モヤモヤした気持ちは残るんですね。

なんでモヤモヤしているかは忘れるけど、モヤモヤした気持ちは残っている。ところが次の日もまた嫌な出来事が起こる。それもまた親に話せない。

そうするうちに、どんどん嫌な気持ちがたまってくる。この子の場合は、その蓄積の結果、こういう行動になったのではないかと思います。

大人であれば一週間前のことや二週間前のことを覚えていて、こんなことがあったと言えるんですけれど、子どもはその日に解消しないと、すぐ忘れてしまいます。

ですから、子どもの話を聞いてやるなら、その日のうちか、せめて次の日です。そういう意味で、親が家にいるというのは、子どもにとっては、すごく大事なことなんです。

もちろん親もいろんな事情があって、いつも家にいるわけにはいかないと思います。最近は共働きが多くて、なかなか子どもが帰ってくるときに、「お帰り」と言ってやれず、心苦しい思いをしているお母さんも多いと思います。

確かに、大人の事情は事情としてあるのですが、子どもにとってはやはり家に親がいないということだけで、どんどんモヤモヤがたまっていく理由になる。

少なくとも私たちはそのことに、気づいてやって、接する時間が少なければなおさら、話しを聞く時間をつとめてとってやる必要があると思います。
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この親は肯定的ストロークを子どもにあまり与えず、否定的ストロークを多く与えていた。さらに、時間的な制約からじっくり子どもの話を聞いて『受容』することもできなかった。子どもはそれをディスカウントだと感じただろう。

その結果、この子は「自分は親にとって“処理しなければならない仕事の一つ”なんだ」と思うようになり、「自尊心」が著しく低下した。

そうして出た言葉が「おれなんかおらんほうがいいんや」「自殺してやる」、自分の存在は望まれていない、愛されていない、存在価値がないという、まぎれもなく”彼にとっての真実”である。

「安全基地」を失っていっぱいになった「心のコップ」は学校で溢れ出した。


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